愛すべき我ら刈和野衆①

 ふるさとは
 遠きにありて想うものどっちも満足なんて
 近づきすぎると危険

 数えてみると刈和野で生まれ、小・中・高校2年までとその後4年間仕事の関係で刈和野で過ごす。人生62年中で21年しか刈和野には住んでいない。それなのに刈和野を語るなと諸先輩たちに怒られるのを覚悟で我ら刈和野衆について紹介します。

◆大綱引き

 刈和野衆が集う代表的行事として有名なのが「刈和野の大綱引き」。500年以上続く伝統行事。刈和野を上町と下町に分けて、大人から子どもまで数千人が参加し、直径約80cm・長さ200mで重さ約20トンにもなる巨大な綱を引き合う。この行事の前後は小・中学校ではクラスは下町と上町のクラスは真っ二つに分かれる。決着が付いた後もしばらくは勝った方は自慢げに振る舞い、負けた方は憎まれ口をたたく。たとえ夫婦であっても生まれが別々だと綱引き当日は上町と下町に分かれる。

◆刈和野衆

 刈和野衆の血が一番騒ぐのが勿論この行事で、綱引きを中心にした強い地域共同体、気っ風の良さ、荒っぽさが含まれているのが刈和野衆。自称として使う場合は誇らしい意味があるが、外の人が使う場合はやや注意が必要です。

 この刈和野衆が内々で騒いで盛り上がっている場合はよいのですが、これが団結して外に向かうとなるととんでもないことになります。刈和野衆と野球に纏わるエピソードをいくつか紹介します。

◆エピソード1

 隣町の神宮寺は「秋田県の少年野球発祥の地」。今はどうか分からないが、我ら刈和野中とその神宮寺にある平和中とは当時から因縁の戦い。試合をしようものなら選手同士は勿論、観客同士もギラギラした戦いとなる。先輩から聞いた話によると、審判の判定が不服で観客の刈和野衆が座っていたパイプ椅子で殴ったことがあるとかないとか。

◆エピソード2

 自分の選手時代。対平和中。ショートで守っているときに明らかなど真ん中をボールとコールされて刈和野衆のDNAが騒ぎ始める。ランナーは二塁。打ったボールはセカンドベース寄りのショートゴロ。ゴロを捕るふりをしてランナーとぶつかる。そして大げさに転ぶ。起き上がり「守備妨害!」アピール。しかし、審判はコールをしない。我がチームの監督が出てくる。監督も刈和野衆。しかしなかなか審判は守備妨害を取ってくれない。そこで自分は言わなきゃいいのに「守備妨害だろうが!」とまたまたアピール。そしたら監督に「おまえは黙っていろ!」と怒られた。その後どうなったかは覚えていない。

◆エピソード3

 1981年(昭和56年)。第47回秋田県少年野球大会決勝。決勝戦まで勝ち進んだ我が刈和野中の対戦相手は秋田市の土崎中。こともあろうに土崎中。いわゆる「ざき衆」。土崎曳山まつりを中心にした強い地域共同体、気っ風の良さ、荒っぽさが含まれているのが土崎衆。刈和野衆vs土崎衆。簡単に試合は終わりません。勿論揉めました。(つづく)

(人生の一滴)

そうなることは分かっていても

黙っていられない

それが我ら刈和野衆