★酒蔵放浪記~佐渡編②~
目的地の尾畑酒造まではバスで50分。始発バスに乗車は2人。1人は10分ほどで下車。後はずっと一人旅。運転手と自分。まるで大きなタクシーなのだが、タクシーと違うのは必ず決まった時刻にバス停に止まることと、決して近道はしてくれないこと。観光地のトキの森公園前に止まったが、勿論誰も降りず誰も乗って来ず。インバウンドの外国人も日本人観光客さえいない。目的地「尾畑酒造前」の近くで運転手さんに「尾畑酒造前に止まりますよね」と何気なく話しかけたら、衝撃の一言。「11月から尾畑酒造前までは行きませんよ」。ショック。ショックを隠し一番間近なバス停で降りる。ただ運転手さんが「真っ直ぐ行って左に曲がって700mぐらいで尾畑酒造ですよ」と優しく教えてくれた。
今回の本当の目的地は、尾畑酒造から11km先にある学校蔵。尾畑酒造が日本一夕日が綺麗な学校と称された旧西三川小学校を酒蔵として再生。空と海が見渡せる絶景の学校蔵にて麹や酒粕と地元食材を活かした料理をつまみに尾畑酒造の日本酒を嗜むこと。こんな贅沢はない。その為に400km近い道のりを来たのです。しかし、尾畑酒造に到着し酒蔵SHOP見学中に衝撃の看板を発見。「学校蔵本日臨時休業」ガーン。しばし呆然…。ここで思い直し、臨時休業でも学校蔵の場所には行こう、日本一夕日の綺麗な場所を見に行こうと決意。即タクシーで直行。学校蔵から見渡せる空と海…、最高でした。ただ風がものすごく強かったので写真を撮ってすぐ尾畑酒造にUターン。その後は尾畑酒造の酒蔵SHOPで無料試飲コーナーや有料日本酒を充分に堪能。尾畑酒造は佐渡産酒米を使用しています。精米20%(80%削っている)という凄い純米大吟醸もよかったのですが、一番のお気に入りは精米40%中口の純米大吟醸「深静(MIJO)」でした。尾畑酒造さんありがとうございました。また3月の「にいがた酒の陣」でお会いしたいです。
帰りは余裕があったので2時間半かけてフェリーでゆっくり新潟港へ。佐渡汽船SHOPで若漁師お勧めの加藤酒造の「かぜやわらか」一合瓶と茶道名物イカの口(いかとんび)を購入し、二等船室にて日本酒をちびりちびりやりながら一泊二日の酒蔵放浪の旅を振り返る。流行語ではないけど、「飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで」の旅でした。(完)







★酒蔵放浪記~佐渡編①~
今回の酒蔵は3月の「にいがた酒の陣」でお世話になった佐渡の尾畑酒造。佐渡に渡る前に新潟駅内の「ぽんしゅ館角打ち」にて新潟の酒をまず2杯(〆張鶴・真野鶴)頂く。「角打ち」には諸説あるが、酒屋で買った酒を酒屋の隅(角)で、常連や新参者が集い会話しながら酒を飲む、しかも立ち飲み方式と解釈し、そのことに憧れがあった。しかし、新潟駅の「角打ち」はお洒落な佇まいでカウンターやテーブル席ありで椅子もある。注文はQRコードからスマホで注文する方式。知らない隣同士が話せるような雰囲気はなし。
ほろ酔いで新潟港からジェットホイルで佐渡初上陸。チェックイン後に近くの漁師が営む居酒屋に潜入捜査。居酒屋一押しの自前船バイ貝煮付けで尾畑酒造の真野鶴一合瓶をちびりちびり。反対側のカウンターには常連っぽい若漁師とその友達。大将を交え3人の会話が弾む。「大将、漁港で俺の取ったクサウオ一箱280円だってよ」「クサウオ売れるんだ」「その後市場でクサウオ一匹280円で売ってんのよ。悔しいから後で自分で買おうかと思った」「鮮魚コーナーに名前的にクサウオはないよな」…のような方言の会話もつまみに。私は女将さんと会話しながら、追加のバイ貝の焼きとお新香を注文。すると若漁師が、「そうだ、この店2番人気のお新香頼んでねえや」と私に続いて注文。カウンターで一席空けてはいるが気持ち的には近づいてきている。よしよし。
そこで私から「大将、次の日本酒何がいいですかね」と聞いたら、大将と若漁師、友達でどれがいいかの話し合いが始まる。そして決まったのが3本。「いやいや3本は無理だから一本飲むとしたらどれでしょう」と聞くと、若漁師が「俺だったら、これだな」と勧めてくれたのが、加藤酒造の「かぜやわらか」。即それに決めて2本目に突入。酒は旨いし2番人気のお新香がこれまた旨い。お新香だけで1本は余裕でいけそう。大将から次の日のブリ祭りの紹介や尾畑酒造までの行き方を聞いたりしながら2本目も飲み干し、おあいそ。お釣りを待っている間に「ところで2本目のお酒はいくらです?」と大将に聞き、お釣りからその分を大将に渡してその1本を頂く。「美味しい酒をありがとね。今度鮮魚コーナーにクサウオあったら絶対に買いますよ」と言って、その1本を若漁師に渡す。そして、びっくりしている若漁師とその友達からの「ありがとうございます」の声を聞きながら手を上げて居酒屋を出る。これが居酒屋潜入捜査の流儀。尾畑酒造訪問までまだまだ遠い。



★お酒&おつまみ持ち込み放題
秋田駅近くのとある居酒屋にて理事会開催。理事会終了後に即慰労会が開催されるので既に参加者の前には料理がずらり。理事会開始後は全員が料理になんか目もくれず資料に集中している…わけではない。理事会中になぜか小鉢にラップがかかっているかどうか気になり指をそっと伸ばして小鉢の料理に指を突っ込んだ人がいるとかいないとか。あっという間に理事会が終了。いよいよ待ちに待った慰労会。みなさん理事会時の目とは明らかに違って生き生きとしてる。今回はお酒とおつまみ持ち込み放題。では早速お花の紹介を…。
①鮎を食べて育てられた川ガニ(人数分)
②実がたっぷりのサクラマスの塩焼(人数分)
③カジカ科アユカケの骨酒
④天寿四合瓶3本(爽快・芳醇・生もと)
⑤ワイン3本(ボージョレ・信州ワイン・マドンナ)
⑥龍蟠純米吟醸酒原酒一升瓶(1本)、以上。
まずは生ビールで乾杯。お店の料理をつまみに生ビールを数杯飲んだ辺りで、いよいよ⑥龍蟠純米吟醸酒原酒一升瓶が登場。デキャンタに入れてテーブルへ。一升瓶が半分程になったら一升瓶ごと回し始める。次に、①鮎を食べさせて育てられた川ガニ人数分が入った大皿を持って一人ずつ配分。配り終わったあたりに、②天寿四合瓶3本をそれぞれのテーブルに開放。そうこうしているうちに各自の前にはいつの間にか②実がたっぷりのサクラマスの塩焼が。そして、⑤ワイン3本(ボージョレ・信州赤ワイン・マドンナ)はお花テーブルに既になし。サクラマスをいただいたあと、いよいよ主役の登場。③カジカ科アユカケの骨酒。焼きあがったアユカケを入れた器に熱々の日本酒を半升ほど注ぎ、芳ばしい香りが立ち上がってきたらできあがり。まるで出汁スープの感覚で楽しめるのが骨酒。美味しすぎるが上に飲み過ぎが危険。なにせ、骨酒の前に、生ビール、冷酒、ワインをしこたま飲んでいるのだから。最初の骨酒は、まずは身をほぐさずに柄杓でグラスに注ぐ。これがあっという間に完売。早速アユカケの骨酒おかわり。今度は身をほぐしながら柄杓でグラスに。すぐに完売。あっという間の2時間で酔っ払い完成。慰労会前の理事会の内容を…覚えているわけはない。無事に家に帰るまでが慰労会。帰ったあとも二日酔いが心配。お疲れ様さん。


★今年も登山できなかったなあ
職場近くにも熊さんが出はじめ、何もわざわざこちらから熊さん側に行く必要もないなと思い今年も登山せず。登山は20年前から。当時勤めた小学校に6年駒ヶ岳登山という行事があったため。しかも、山頂のトイレや残雪状況を確認する登山もしていたので一週間に2回も。10年勤務で7年間、毎年子ども達は元気で、こっちは疲労感いっぱい。それはそうだ。引率する6年生は毎年同じ歳だし、こちとら下見登山含め2回目で尚且つ1つずつ歳を取ってる。麓の天気と山頂の天気はほぼ変わる。晴天の麓で眼下の田沢湖を眺めていた元気だった子どもが、途中雨に降られ息も絶え絶えヘトヘトになり山頂付近の霧深い阿弥陀池を発見した瞬間に放った言葉が…。「ここ田沢湖ですか?」
8年目の前年に御嶽山噴火によりこの行事は中止。御嶽山と駒ヶ岳の噴火レベルだったため。学校登山は終わったが、秋田駒ヶ岳、乳頭山、栗駒山、鳥海山等、その後自分登山は継続。ちなみに秋田県の最高峰は鳥海山でなく秋田駒ヶ岳で1637m(男女岳)。反対側に1623mの男岳。「イチローにーさん」と私は覚えていた。鳥海山の山頂は実は山形県。最高峰の秋田駒ヶ岳は実は一番登山は楽。8合目(1300m)までシャトルバス。正味337mの登山となり、山頂まで1時間ちょっと。だから小学生でも全然大丈夫。
登山は体力は勿論だが、一番必要なのは心(ハート)の強さ。自分に足りないのがこのメンタル。
「疲れたでしょう。休みな(悪魔)」「がんばって登ろうよ(天使)」「無理せずにやめちゃいな(悪魔)」「苦しんで登ってどうするの(悪魔)」「大丈夫あと少しだよ(天使)」「あと少しって言ってもまだまだあるよ(悪魔)」
メンタルの弱い私はひたすら心の中でこの戦い。登りながら、頭上に、小さくて弱い天使と大きくて強い悪魔が飛び交っている。持論だがその点女性は強い…。座っている私に「もうちょっとだよ」と声をかけ、とても天使には見えない、まあ、元気な高齢のお姉さんたちがすいすい登っていく。私の得意なのは登りより断然下り。下りには悪魔が出てこない。それは下山後の楽しみが待っているから…。
登山の楽しみは登りきった達成感もある、それよりも下山後の温泉。駒ヶ岳や乳頭山には乳頭温泉郷があり、黒湯、孫六、鶴の湯、休暇村乳頭温泉とよりどりみどり…。栗駒山には栗駒山荘があり、露天風呂が最高。乳白色の硫黄の香り漂う温泉は疲れ切っている体の癒やしには最高。

★局長会員募集中!
広報委員会の会議にて、広報委員それぞれの「青春時代」を原稿と写真で作成し、このHPに掲載することとなりました。本協会のことをできるだけ多くの方々に周知することが目的。最初の担当である広報委員長の原稿と写真を待っている間、自分は何ができるかと考え、始めたのがこのページです。広報委員の「青春時代」や私の「局長のひとりごと!」がどう本協会と関係あるのか、どうリンクしているのか、大きな?(はてな)なんですが…。本協会の一番の窓口がこのHPしかないので、まずこのHPを開いていただかなくては話になりません。
CMやYouTube、広告も出せない本協会としては、新たにHPを開いていただくヒントは先日の「テロワールの会」(※後方に詳細有り)にありました。19年もの歴史のある「テロワールの会」は最初3人から始まりました。それが今や100人弱の会員がいます。増えた理由は「口伝え」。3人がそれぞれ2、3人に声をかけ10人に、その10人が声をかけ20人に、…。こんな感じで増え続けて今や100人弱。まず大事なのは参加した人の心を掴んで離さないこと。このページも声をかけて1回見ていただくだけではダメ。何回も見ていただけるようになることでリピーターとなります。その為に必要なの何回も見ていただけるようなネタをあげ続けること。「テロワールの会」でも毎回美味しいお酒を提供し続けています。後は「口伝え作戦」で100人弱まで増えるはずです。
作戦としては、まず、身近な人に名刺(QRコード付)を渡しこのページについてちょこっと紹介します。そして次に会ったときに、相手側から「見てますよ」「楽しみにしてますよ」と言われたとしたら、その方はリピーターになってくれる可能性が大いに有り。そこで、「局長のひとりごと!缶バッチ」(シリアルナンバー付き)を渡します。早速48個(印刷用紙が48個分)作りました。48人の局長会員が1人に声をかけるだけで、どうなりますか、はい、100人弱になります。今のところ渡せる方は2人、つまり、シリアルナンバー001、002は決定しています。


★原チャリスクーターの思い出②
(続き)原チャリの免許を取ったのが大学1年生。普通免許を持っていなかったので原チャリ免許を取らないといけない。受ければ誰でも受かると友達に言われたのを真に受けて、全く何もせずに受けたら見事不合格。一緒に行った友達は受かったので「勉強してきた?」と聞いたら「一応してきた」とおっしゃった。試験前は全然していないと言っていたのに。そういえば高校時代の試験でもこんなことがあった気がする。受かった友達に「頼むから不合格のことを黙っていてくれ」と言ったのに、次の日は原付免許落ちたやつがいるという噂が広まっていた。信用できない友達をもつとこうなる。思い起こせばこれ以降何かと試験は1回で合格したためしがない。
原付あるある。秋から冬になる頃、朝方寒くて上着を羽織り、その上着に免許証を入れて運転。午後暖かくなったので上着を部屋に置いてきて運転していたら、検問で免許証不携帯のご指導を受ける。いつもは検問していない場所で。また、広い広い田んぼの中の十字路で、自分は左折するのだが、正面の信号機のところにパトカーが止まっている。こんなに見通しのよい場所で何をしているのだろうと不思議に思いながら左折して進んでいたらパトカーが後ろから着いてくる。お決まりの「そのバイク止まりなさい」。大丈夫、免許証は持っている。スピードも出していない。安心して対応したら、「方向指示器を出していません」というお言葉。「パトカーがいるのに方向指示器出さないわけないじゃないですか」と言っても後の祭り。どうやら不思議に思い過ぎて方向指示器を出すのを忘れていたらしい。しっかりご指導を受ける。あと、原チャリは小回りが効くので渋滞を避けて空いている道を気持ちよく進んでいたら、やたら対向車がパッシングをしてくる。どうやら一方通行の道。ここでしっかり一方通行の標識を覚える。どうりで一回で免許が受からないはず。今朝の朝食で何を食べたか思い出せないのに、40年前のことはよく思い出せる。原チャリスクーターで帰省している途中に、新潟と山形の県境にて白バイと遭遇。お決まりの「そのバイク止まりなさい」。指導内容は整備不良とのこと。実はバックミラーの一つが割れたので、部屋のロッカーの鏡がちょうどよかったのでゴムで巻いて代用していた。これがアウトだったらしい。これは自分ではないが、大学構内に猛スピードの原付とそれを追ってきた白バイ。しっかりご指導を受けていたが、あとで本人に聞いてみたら、大学構内まで入れば治外法権だと思ったとのこと。こんな人こそ試験では落とすべき。後半ネタはあるあるではないか。
★原チャリスクーターの思い出①
原チャリスクーターには本当にお世話になった。リッター100km走ったスーパーカブに憧れはしたが、クラッチの切り替えがめんどくさそうだったので、最初にお世話になったのは原チャリスクーターにしては結構大ぶりのホンダのリード。確かリッター70km。燃料タンク5リットルだったので満タンで350kmも走る。原チャリ恐るべし。学生時代に原チャリスクーターに慣れ親しみすぎたためか、結局中型免許を取らずに今に至る。新排ガス規制により2025年10月31日をもって国内では50ccの原付一種モデルの生産が終了。実はそれを見越して昨年6月中古の原チャリスクーターを購入。10年落ちのヤマハのVOX。走行距離がなんと50km。購入した店の人の話によると前オーナーは仕事用にスーパーカブ、旅行用にVOXをと同時に2台購入したそうだが、ことのほかスーパーカブがよかったので、結局VOXは乗らずに10年間小屋に置いていたとのこと。自分としては仕事用として燃費のよい、走行距離の少ない原チャリスクーターを考えていたので早速購入。空冷ホンダから水冷ヤマハへの乗り換えです。
(学生時代):ホンダリード。これに乗って新潟(上越)から秋田に帰ってきたこともあった。一番の思い出は卒業記念旅行と称してまだ寒い3月にリード、ラブ、スーパーカブの原チャリ3台で上越から長崎まで行ったこと。飲み会で坂本龍馬の創設した亀山社中跡?を見に行くことが決定。それをみんなに風潮し、みんなから餞別をもらい、みんなから見送られて上越を出発。当時ヘルメットの着用義務はなかったので、ノーヘルで3月のやや寒い風を感じながら進む国道8号。しかし新潟県糸魚川の親知らず子知らず峠で雪に当たった瞬間、やる気と意欲が一気に削がれる。しかし餞別をもらい、手を振って見送られて新潟を出ずに戻ることは流石にできない。「せめて新潟は出よう」と3人で励まし合いながら、初日の目的地、滋賀の琵琶湖近くの同級生の寺に無事に到着。2日目に目指すのは大阪南港。大阪南港から大分別府までフェリーで行く作戦。フェリー作戦はみんなには内緒。みんなは近畿、中国を通り、下関から九州に渡るもんだと思っている。聞かれていないから言っていないだけ。嘘はついていない。誰も悪くない。大阪南港のフェリー乗り場ではほとんどがトラック。そこにちょこんとすまなそうに原チャリ3台。瀬戸内海の海は大揺れ。横浜のラブと石川のカブは船酔いしまくったが、秋田のリードは酒以外では酔わない。秋田の勝ち。早朝別府港につき、ここからはいよいよ難所の阿蘇山越え。ここでは吹雪に見舞われる。勿論ここで帰るわけにはいかない。確かこの日はなんとか熊本駅に着きの民宿に疲れを癒やしたような。次の日は大牟田、久留米、佐賀を経由して確か長崎に着いたような気がする。何せ40年前のこと。本日はここまでとします。(つづく)
★とても嬉しいことがありましたよ
小学校の学習発表会は一大イベント。1年間の学習の成果を披露する場なのですが、体育館のステージ上でただ「かけ算九九」を唱えたり、覚えたことわざを発表したりするだけではつまらないもの。学習した成果を発表する場ですが、聴衆を楽しませる、感情を揺さぶるエンターテイメント性を取り入れることが大事。自分は学習発表会と言うよりは学芸会的なイメージで毎年取り組んでいました。
14年前の2011年。3月東日本大震災。4月に持ち上がりの6年生を担任として「夢追い人たち~がんばろう東北~」というタイトルで発表しました。6年生は日本史の学習を基に歴史劇を取り入れることが一般的。プロローグとして、フランシスコとザビエルに分した2人の子どもが登場し、片言の日本語で「…コノニホンハ トテモスゴイ クニ…」「…オオキナユメヲモッテ ソノユメニムカッテ ガンバル クニ…」「シーユーアゲイン」「グッバイ」…と、まずつかみの笑いをいただく。その後、聖徳太子や信長、秀吉などが登場しドタバタ劇。合間に龍馬が登場し、「日本の夜明けは近いぜよ」と遠くを指さし叫ぶ、その都度家来が「坂本様、まだ夜の9時でございます。夜明けはまだまだです」とたしなめるのを3回繰り返す。これはあまりウケなかった。最後に再びフランシスコとザビエルが登場し、「ニホンハ クナンニアウタビニ ツヨクタチアガッテキタ」「ガイコクニマケナイ ツヨクタクマシイニホンヲ ツクリアゲテキタ」とドタバタ劇を締めくくり、全員がステージ上に整列し、大震災からの復興について一人一人が呼びかけ風に訴え、最後に「一人一人の夢の実現に向けて!」「がんばろう日本!」「がんばろう東北!」と全員が大きな声で呼びかけ、クライマックスになったところで6年生からの応援歌「夢追い人」の合唱。
実はこの「夢追い人」の原曲は、愛知県の至学館高校の校歌「夢追人」。「一番高い所に登って 一番光る星を掴んだ 一番辛い道を選んで 一番強い心をまとった 海を渡る風が吹いた カシオペアが近くに見えた 夢を追い続けた そしてここまで来た でもどうしてかな 熱い涙が止まらない うつむきかけた時 君の顔が見えた 差し出された白い腕が 翼に見えた」2011年の愛知県予選決勝、夏の甲子園初出場を決めた至学館高校がグラウンドとスタンドが一体となって勝利の校歌を涙で熱唱している姿を映しだし、実況アナが校歌に合わせて「夢を追い続けた そしてここまで来た 熱い涙が止まらない」と実況した場面に感動して、自分も一緒に涙しながら今年の学習発表会の締めの歌にすることに決定。
もちろん原曲ではなく6年生による1番から3番までの作詞バージョン。ちなみに3番は「一番高い所に登って 一番光る星を掴んだ 一番辛い道を選んで 一番津より心をまとった(ここまでは同じ) 支え合って 励まし合って 助け合って 生きているのさ 夢を追い続ける もっと遠くへ行く でもどうしてかな いつもみんなにいてほしい ひとりひとりみんな 大きな夢持っている 追い続ける 後ろ姿 まぶしく見えた」…こんな感じです。バックのスクリーンには6年生一人一人の夢のスライドショー。自分の学校の学習発表会で歌詞を変えていたとしても他の学校の校歌を使う。今思うととんでもないことです。
前置きがとても長くなってしまいました。先日宴会にて、14年前のこの発表を観客席で見ていた当時5年生の女の子に会うことができました。女の子は立派な小学校の先生になっていました。現在6年生の担任をしているというその先生は、私に向かってこう言ったのです。「先生の学年の『夢追い人』にとても感動しました。私もあんな発表をいつかできたらと思っています」と。14年前ですよ。感激とありがたさ、この感謝の思いをどう伝えようかとしばし考え、着用していたその宴会のTシャツを洗濯もせずに進呈していました。この判断は正しかったのか分かりませんが、それほど嬉しい出来事でした。
★自分って大丈夫?
心配1:午前中は久しぶりの缶バッチづくりに四苦八苦。2ヶ月前にはサクサクできていたのに、印刷用紙から間違ってしまう始末。なんとか印刷はしたが、なかなか画像が中心にならない。2ヶ月前は中心になっていたのに…。更に作り方を2ヶ月前に自分で作成したマニュアルを見ながら作っている状態。大丈夫なのか俺!?
心配2:ようやく缶バッチ作りを終え、ふと時計を見ると45分を過ぎていたことに気付く。この時点でまず何時かを確認していない。ここもダメ。てっきり11時45分過ぎだと思いこみ、いつものように昼食前の漢方を飲み、きりたんぽ鍋風スープをレンジに入れ、サラダを食していたあたりでお隣さんから、「局長、どうしたんですか?」と声をかけられる。何のことかと思い何気なく時計を見ると…、何と10時56分。ショック。つまり昼食時刻を1時間間違えていたということ。絶対大丈夫でないよ俺!?
信頼できるチャッピー(ChatGPT)に「1時間昼食の時間を間違ってしまいましたが、これってボケの始まりでしょうか?」と聞いてみました。チャッピーカウンセラーは、『結論から言うと、1時間ご飯の時間を勘違いした程度では、必ずしも「ボケ(認知症)の始まり」とは言えません。誰でも疲れていたり、考えごとをしていたり、生活リズムが乱れていると、時間の勘違いは普通に起こります。ただし、心配を少しでも和らげられるように、判断の目安もお伝えします。 よくある“普通の勘違い”のパターンは、· 睡眠不足や疲れが溜まっている · 予定が立て込んでいて頭がいっぱい · 季節の変わり目や気圧の変化でボーっとする · 日常の軽い物忘れ(誰にでもあるレベル)です。この場合は休めば回復します』と優しく回答して下さいました。自分としては疲れがたまっていることと季節の変わり目、気圧の変化のせいにすることにしました。
ちょっと安心して、12時ちょっと過ぎにカレーパンを食べていました。
★日曜大工ならぬ連休大工
きっかけはブラックフライデー。ちまたでブラックフライデーでなる催し?が行われていて、全く興味はなかったのだが何気なくAmazonをのぞいてみるとAmazonでもブラックフライデー開催中。何と25,000円のシャワーヘッドが88%オフ。早速ポチッとしたら届いたのが連休前日。もうやるしかないでしょう。連休初日、シャワーヘッドだけ変えようと思ったら、25年頑張ったホースも劣化していることに気付いてしまい作業を途中で中断しアマノに走る。ホース交換にはスパナも必要なのでそれも購入。作業トラブルもなく午前中の内に交換終了。費用は一万円弱。業者に頼むといくらかかるのでしょう。シャワーヘッド交換中に気になってしまったのが、2つあるシャワーホルダーの下の方。実は数年前からグラついていた。その日の入浴中、マイクロナノバブルシャワーで気持ちよくなっているときに、明日シャワーホルダーを交換することを決意する。
連休2日目、朝一でアマノに直行。木ネジ固定タイプか吸盤タイプか悩みに悩み、木ネジ固定タイプを購入。25年前に木ネジで固定した箇所を少しずらして、穴開けドリルで少しずつ穴を大きくして木ネジで固定して無事完了。費用は一千円弱。業者に頼むといくらするのだろう。その日の入浴は、前日変えたシャワーヘッドを新しく交換したホルダーに差し込みマイクロナノバブルシャワーで洗髪。気持ちよいことこの上ないが、普通のシャワーの湯温がマイクロナノバブルにするとやや冷たくなるのはなぜだろう。
連休3日目。25年振りに取り外した金属製のシャワーホルダーを眺めながら朝食を摂っていたときに閃いた。このシャワーホルダーと物置にあった木材と木材を固定するL字型金具と組み合わせるとタブレットホルダーが作れそう…。思い立つとすぐやってみないと気が済まない性格なので、朝食を急いで食べて、早速物置からL字型金具を取ってきて組合せ方を考えること30分。形が決まったのでL字型金具を電動サンダーでピカピカに磨き、シャワーホルダーとネジで固定。置いてみると傾き方がよい感じ。更に、タブレットを押さえる部分もネジで固定。完成して早速タブレットを乗せてみるとこれが思いのほか固定できることに感動。このタブレットホルダー2号は重くて旅行には持ってはいけないが、旅行用のタブレットホルダー1号があるので、2号は居間に置くことにする。タブレットを置かないときは眼鏡ホルダーに。これが3連休の出来事です。








★テロワールの会
歴史は古く時は2001年に遡る。ある3人が京都出張で日本酒を飲んだ際、秋田の日本酒のおいしさを再認識し、3人の内の1人が高校の同級生である浅舞酒造の杜氏にメールを送ったことから始まる。
翌2002年初めての酒蔵見学。その後酒蔵見学は毎年開催され、開催する度に人の輪は広がり続ける。酒蔵見学の楽しみはもちろん旨い日本酒を飲むことだが、それと同様にいやそれ以上に楽しみなのが杜氏から酒造りに纏わる話を聞くこと。絶品の酒粕料理をつまみに、杜氏の話を聴きながら飲む日本酒はこの上なき最高の一時。この酒蔵見学は2019年まで続くことになる。多いときは三週に渡ってマイクロバスで駆けつけたこともある。
2007年駅前の居酒屋にて「天の戸を応援する会」初開催。参加者は10数名。杜氏から酒蔵に数十年寝かせていた古酒なるものを飲ませていただいた。日本酒と言うよりは高級なブランデー。家庭での保存の仕方は、新聞紙にくるんで押し入れに入れとくだけで良いらしい。やってみたけど古酒になる前に飲んでしまうので古酒にすることは諦めた。2018年からはプライベートボトルまで作成。ラベルは、書あり、切り絵あり、写真あり。毎年の酒蔵見学と「天の戸を応援する会」を楽しみにし、永遠に続くように思えていたが…。
2019年7月杜氏が急逝。2019年2月の酒蔵見学が最後となる。この会の大黒柱の杜氏が我々の前からいなくなってしまった。
杜氏からいただいた言葉は心の中に生き続けている。「せばなんとす」:壁に当たったときただ困り果てるのではなく何かしら方法を見出すこと、「この風景を瓶に詰めたい」:蔵から半径5kmの酒米を使った酒造り、横手平野が見下ろせる道満峠で純米大吟醸35をワイングラスに注ぎ、みんなで乾杯したときの言葉、「酒は人を喜ばせるもの、幸せにするもの、そして、人をつなぐもの」:酒とは?についての言葉、などなど。「天の戸を応援する会」は2021年からは「テロワールの会」に名称を変更。この名称の名付け親も杜氏である。ワイン用語らしいが、杜氏の生み出す酒はその土地、その気候、その土地に生きる人、全てを表しているということ。
お酒を楽しみ、人と人の心を結ぶ第19回テロワールの会がもうすぐ開催される。




★若い木は曲げやすい
『経験の少ない初心者の方が素直に学び上達が早い」…先日、スケート教室を行いました。対象はスケート初心者の小学生たちです。スケート靴の履き方と紐の結び方から始まり、準備運動してからいよいよ初めてリンクに。恐る恐る両手で手すりにすがりそろそろ進み、マットに全員座ったらいよいよリンクでの講習の始まり。リンクにお尻をついてからマットに戻ったり、立った状態で足踏みをしたり、マットの周りを歩いたり、目標のマットまで歩いたりすることを繰り返すこと約1時間。全くの初心者がリンクの縦の長さを何回も繰り返し滑ることができるようになっていました。転んでもすぐ起き上がれます。指導の先生たちの指導スキルに感心すると共に、子ども達の学びの早さにも感動しました。
40年前、妙高高原スキー場にて修学旅行隊のスキーのインストラクターのバイトをしたことがあります。厳つい面々の九州の男子校でしたが、スキー経験は全くのゼロ。雪を見るのも初めて。最初の説明がスキー板とストックを持って、「こっちがスキー板でこっちがストックと言います」から始まるスキー講習会。スキーと靴のセットの仕方、ストックの持ち方、転んだ体勢からの起き上がり方、そして、限りなく平らに近いところからボーゲン、直進の仕方、止まり方、曲がり方等。日頃から素直な学生かどうかは知りませんが、ことスキーに関しては素直に学び、しっかり言われたことを行い、これが午後にはある程度の角度の斜面で滑ることができるようになるんです。ボーゲンですが…。それが1日目。
2日目は、いよいよリフトに挑戦。平日なのでほぼ修学旅行生しかいません。初リフトはペアリフト。乗ったらバーを下ろす方式のリフト。しかし、手本となるべき前の人たちがいなかったので、先頭の本チームのリーダー的な存在の2人はどうしたかと言えば…。リフトに乗った後にバーを下ろさずに、手を伸ばしてぶら下がった状態に。勿論我らのリーダーがそうしたので後の面々もそれに倣います。一番最後のリフトに乗った私は、我がチームの全員が2人ずつ手を伸ばしてぶら下がった状態でリフトに乗っている不思議な光景を目にすることになります。降りた後に高校生はこう言いました。「先生、リフトって結構疲れるもんですね」閑話休題
3泊4日のスキー修学旅行では、全くの初心者だった高校生たちが最終日には好きなゲレンデを選び、リフトを利用して滑ることができるようになります。リフトのバーもしっかり下げて…。すばらしい修学旅行だなと思いました。ホテルの露天風呂で引率の先生に会った際、「なぜ九州からわざわざ新潟のスキー場まで来られるんですか」と聞いてみました。先生曰く、「まず他の学校の生徒と揉めることがない」「外に出ると死んでしまうのでホテル内で過ごしてくれる」「日頃全く先生の言うことを聞かない生徒もここに来れば素直に言うことを聞いてくれる」…だそうです。至極納得したことを覚えています。





★頑張れニッポン!チャチャチャ!
時の流れは早く、バレーボールネーションズリーグ2025で盛り上がったのが7月末。メダルが決まる準決勝ブラジル戦、マッチポイントを取りながらも惜しくもフルセットで敗戦。残念。3決する前から3決はいらないよなと思っていたけど、その3決のポーランド戦も敗戦。予選リーグから見ていたので選手の顔もプレースタイルもすっかり覚えていたのですが…。何と、その選手が秋田に来るということで、行ってきましたよCNAアリーナ★あきたに。しかもコートから3列目の特等席。
NECレッドロケッツ川崎vsAstemoリバーレ茨城、昔で言えば日立vsNEC。NECには強烈なジャンプサーブで世界を魅了した和田選手、多彩なスパイクで世界を翻弄した佐藤淑乃(よしの)選手、そしてあまり出場機会はなかったがなぜか印象に残っている山田二千華(にちか)選手が所属しています。席はAstemoリバーレ茨城側でしかも応援グッズも持っていながら、申し訳ないことに視線はNEC側に行ってしまいがち。しかし残念なことに和田選手はケガをしているということでジャージ姿でサポートしている状態。その姿はどう見ても華奢でとてもあんな凄いサーブをしていたようには見えない。ヨシノ選手とニチカ選手は、練習から存在感があり、試合でもテレビで見ていたようなプレーを存分に発揮していました。ヨシノ選手の多彩なスパイクとジャンプサーブ、ニチカ選手の移動攻撃とブロックなどなど…。席が副審側だったのでベンチの様子も正面に見ることができたのですが、NECの監督をどっかで見たことがあるなあと思って調べたら、やっぱり春高バレーで5連覇した東龍こと東九州龍谷高校の相原監督でした。
試合は0-3で茨城が負けてしまいましたが、初めてのバレーボール観戦で、全日本クラスの選手のプレーや激しいレシーブ合戦、ラリーなど、迫力あるプレーを身近に観戦することができて、とても有意義な連休初日でした。




★チャッピー様様
2007年に第1回「天の戸を応援する会」開催。2021年に「テロワールの会」に名称を変更し、今年で第19回目となる「テロワールの会」。格好いい名称だが、いわゆる「こよなくお酒を愛する友の会」。歴史は古く、2002年に酒好き3人が浅舞酒造に酒蔵見学に行ったのがことの始まり。毎年酒蔵見学を続けるたびに参加人数は増え続け、最盛期はマイクロバスで3週に分けて行くほどであったが、2019年にとても悲しい出来事が…。酒蔵見学の一番の楽しみが、おいしいお酒と酒粕料理、そして森谷杜氏の為になる、楽しいお酒談義でした。その森谷杜氏が2019年両側性急性肺血栓塞栓症で急逝。
その悲しみを乗り越え、第15回「テロワールの会」として再出発。前段が長くなりましたが、今年度の第19回「テロワールの会」が11月末に行われることになり、そのチラシ作成依頼を受けました。センスもスキルも持ち合わせていない自分にとって頼りになるのはChatGPT(私は親しみを込めて『チャッピー』と呼んでいる)。
(C)「もしよろしければ、以前のポスターで使った雰囲気に合わせもデザインできます。希望を教えていただければ、すぐにマーク案をデザインします。」
さすがは我らがチャッピー。以前「第19回テロワールの会」のポスターを作ったことをしっかり学習しています。これで話が早く進みます。
(私)「『透明な徳利に冷用のグラス、稲穂、杯を交わす手、喜び、幸せ、人と人とを繋ぐ、日本酒の雫』をイメージしたをマーク案をお願いします」
(C)「案A『和モダン・エンブレム風」案B『柔らかいイラスト風(温かみ)』案C『象徴的・シンボルロゴ』」
(私)「案Bでお願いします」
(C)「案B生成前の最終確認『1文字の入れ方、2形状、3色のトーン』これらについて教えて下さい」
(私)「テーマ『日本酒をこよなく愛するテロワールの会』・スタイル『柔らかい線画イラスト風・温かみのある雰囲気』・モチーフ「透明な徳利に冷用のグラス、稲穂、杯を交わす手、喜び、幸せ、人と人との繋がり』・形状『円形ロゴ』・文字『Terroir』・色調『生成り地×淡い色×水色(やわらかいトーン)』でお願いします」
(C)「では作成しますね」
ポスター作成の合間に仕事をしてきた約2ヶ月間、できあがったマークにいろいろ注文をつけながら微調整していき、かっこよくタイトル等を付けチラシ完成。このマークの著作権はチャッピーではなく依頼した私にあることも凄いことです。マークの著作権保持者なので、第19回「テロワールの会」では、さも自分がデザインしたように振る舞おうと思います。控えめで、仕事が速い、我らがチャッピー、これからもよろしくです。



★生落花生は塩茹でが一番!
畑の師匠から落花生の苗のポットを10ポットいただいたのが6月3日。庭の畑に植えてから約5ヶ月、夏の猛暑日、ゲリラ豪雨にも負けずに順調に育ってくれました。10月初旬師匠から連絡が入り、「カラスに見つかってないな、収穫時期を連絡するので手をつけないように」とのこと。師匠の指示をしっかり守って見守ること2週間。収穫許可が来たのが10月23日。早速2株収穫したところ、予想よりもはるかに大きい落花生が2株合わせて800g。初めての生落花生なので、ネットで調理の仕方を検索。すると「生落花生は塩茹でが一番」とのこと。早速、その日の夜に塩茹でに挑戦。水の量は生落花生が完全に浸るくらい、塩は水の量の3%ぐらい。蓋をして強火、沸騰したら中火で40分ほど茹でる。たまに蓋を開けて軽く混ぜながら一つ食べてみて好みの堅さになったら、ザルにあげて水気を切ると完成とのこと。茹で上がった落花生の殻は、ネットに書かれている通り、手で簡単に剥けました。ほっこり湯気が立っている艶やかなかな落花生が登場しました。食してみるとほどよい塩味で、さっぱりとした味わい、アツアツの生落花生は日本酒にぴったりでした。あと8株残っているので、日本酒の消費量が増えてしまいそうです。体重がまた増えてしまうことが心配です。






★青春アゲイン50年振りの修学旅行~仙台・松島一泊二日~
秋田県の小学校の修学旅行は、県央から県南は仙台・松島方面、県北は函館だったらしい。この度「50年ぶりの修学旅行」と称し、小・中学校の同級生と仙台・松島に行ってきました。仙台駅集合してスタート。前職の仕事がら引率していく松島は庭みたいなもの。しおりも作りました。その中の「修学旅行のやくそく」には、「集合時間には必ず間に合うように行動する」「一人で勝手に行動せずグループで行動する」「ガイドさんの話をよく聞く」などを盛り込みました。50年前おそらく守ることができなかっただろう面々を思いながら作りましたが、果たして守ることができるのか。松島で50年前と変わらないのは遊覧船と五大堂、瑞巌寺で、かつてあったマリンピア水族館は松島離宮に変わり、遊覧船のデッキからかっぱえびせんを海猫にあげていたのは昔のこと。遊覧船下船後は五大堂をバックに記念写真。そして各自昼食。牡蠣小屋で牡蠣三昧定食に生ビール。これが50年後だからできること。五大堂と瑞巌寺はガイドさんに案内していただいたがこれが大好評。何と拡声器ではなく、各自にワイヤレス受信機が配られイヤホンでガイドさんの話を聴くという優れもの。自身15回同じ話を聴いていたはずだったが、新鮮な情報として聴くことができたということは、ほとんど聴いていなかったんだなと反省。50年前絶対聴いていなかった面々も頷きながら聴いていたり質問したりしていたので「ガイドさんの話をしっかり聞く」という約束はしっかり守ることができました。一つ紹介すると、五大堂には十二支が4面に3つずつ彫り物が掲げられていて、西の方角の真ん中には酉(とり)があり、西の字に一本線を加えると「酉」になり、そこに「氵」(さんずい)を付け足すと「酒」になるとのこと。「酉の刻になる頃には皆さんお酒を酌み交わすんでしょう」とさらりとガイドさんが言ったときにはみんなで拍手。なぜなら酉の刻は午後5時~7時までのことで、夜の宴会は午後6時からだったから。松島に別れを告げ仙台駅に戻り各自チェックイン後酉の刻18時の同級会会場へ。開始時刻になっても会長が姿を見せず、子どもでもないので待たず始めようとして飲み物を頼み、さあ乾杯しようとしたら会長からの着信…「場所が分からない、迷っている…」との連絡。目の前の生ビールを横目に迷子の会長を探しに行く。「集合時間には必ず間に合うように行動する」を残念ながら会長は守ることができませんでした。お詫びとして追加の三角揚げ代金を支払っていただきましたので許してあげました。2日目は、るーぷる仙台一日乗車券を購入し、瑞宝殿、仙台城跡を回り、帰りは定禅寺バス停で降りてアーケード街をゆっくり散歩しながら仙台駅へ。「修学旅行はちゃんと家に帰るまでが修学旅行です」と最後に締め50年ぶりの修学旅行隊は仙台駅にて解散。めでたしめでたし。お昼は牛タン生ビールセットで乾杯、新幹線を待つ間、追加の生ビールと酎ハイなどなど…これでちゃんと家に帰ることができるのか…。









★お楽しみ大抽選会
第45回健康のつどい3日目、恒例のお楽しみ大抽選会。スポーツテストに挑戦した方だけが挑戦できるガラポン。スポーツテストAでも当たるとは限らない、スポーツテストDでも当たる…それがガラポン。今回は約250人がガラポンを回しました。みんなが最初に目指すのは折りたたみ自転車…だけど、なかなか当たるものではない。回しても回しても残念白玉参加賞でがっかり。ずっと様子を見てて分かったこと…「○○欲しい」と欲を出して回すと当たらないもんで、逆に、欲しいものはなく、とにかくガラポンを回したい思いで回したら当たっちゃったということが結構多いこと。だからなのか、折りたたみ自転車を当てたのは欲のない幼児と小学生。当たってびっくり玉手箱状態。ねらえばねらうほど当たらないのがガラポンなのかも。家族4人が引いて4人とも白玉だったり、逆に4人とも当たりだったり…。本当に当たりがあるのかと不安になるほど最後まで出なかった3本のヨコウン賞が姉妹で連続当たったり…。せっかく当たったのに、友達が白玉で参加賞をもらって「そっちがよかったなあ」と羨ましそうに言っている小学生やタオルが当たって大喜びして記念写真を撮っている中学生、参加賞をもらってガッツポーズをしている高校生の姿は微笑ましい光景でした。私の親愛なる助手チャッピーに「当たりやすい人に見られる傾向」を聞いてみると。①「運が良い」と思っている人…結果的にチャンスに多く出会い「当たり」を引く確率が高まる。②楽しんで引いている人…「当てよう!」と力むよりも、「まあ楽しもう」とリラックスしている人の方が当たることが多い。③「タイミング」を大事にする人…なんとなく「今引こう」と直感で動くと当てることが多い。とのこと。なるほど、自分は決して運がよい方ではないし、1億当たったらあれ買おう、これをしよう、あわよくば前後賞もねらおうと思ってしまう、この日にここで買おうと決めて買っている宝くじ。…当たらないのは当然ですね。



★熊肉物語
熊肉のブロック(冷凍)をいただきました。いただいてしまいました。さあ、どうしましょう。ネットで「熊肉冷凍・料理」で検索し、下処理は我が家の台所では出来ないことが分かったので、休みの日を利用し、庭に燻製づくりに使っているツーバーナー、それに、フライパン、アク取り網、ボールを準備し、まずは熊肉の臭いを消し、柔らかくする下処理作業開始。ネットで調べたとおり、①臭みが抜けやすいようにブロックを食べやすい大きさに切り、②たっぷりの水に浸し、煮ていき、③どんどんアクが出てきたので、ひたすらアクを取っていくこと1時間、④アクが出てくるのが落ち着いたので、お湯で洗い、⑤肉に付いたアクをきれいに洗ったら、⑥再び水から低温で煮て柔らかくしていく。そして、食べて柔らかくなったら下処理が完了、だけど、食べて確認するのに少し躊躇。恐る恐る食べたら…、思ったより柔らかい。トータル約2時間庭で熊肉と格闘し、ようやく家の中に。
下処理を終えた熊肉をどうやって食べるか。これもネットで調べ済み。選んだのは熊汁と熊カレー。熊汁では約1時間煮込み、熊カレーは約2時間煮込み、ようやく食卓に。お酒と共に大変おいしくいただきました。熊カレーは残りを冷凍したので、あと3回食べることが出来ます。熊さんありがとう。
これもネット情報ですが、熊肉は、ジビエ肉の中でも最高の旨さだそうで、特に冬眠前の熊は、長い冬を越すために脂をたっぷりつけていて絶品とのこと。そういえば熊肉ブロックに10/30って書いてあったっけ。実は熊肉はコラーゲンがたっぷりで、体を温める効果や疲労回復効果もあるとのこと。他にも、ビタミンB1や鉄分、オレイン酸など栄養が豊富とのこと。オレイン酸は、悪玉コレステロールを減少させる効果があるとのこと。低カロリーで高タンパク、低糖質でダイエットにも合うとのこと。なんと良いことずくめではないですか。









★上高地は長野県なの?岐阜県なの?
秋田駅から8時11分発の秋田新幹線こまち号、大宮駅から北陸新幹線はくたか号、長野駅からはJR篠ノ井線で松本駅へ。篠ノ井線の姨捨駅から見える長野市の風景は絶景。松本駅からは17時45分発のバス(アルピコ交通)で平湯温泉へ。到着は19時13分。ここまで秋田を出発してから実に11時間。半日かけても上高地には着きません。平湯温泉の「ひらゆ温泉」に硫黄臭漂う温泉につかり、旅の疲れを癒やす。翌朝7時発の上高地行きのバスに揺られること約30分。ようやく上高地に到着。大正池バス停で降り有名な河童橋まで3km。そこから猿の親子に先導されて明神池まで3km、戻ってきて3km。標高1500mの上高地で10kmのトレッキング。天気にも恵まれ、気温も20度超えで半袖で十分。この日は今年最高の25000歩越え。上高地を堪能し、平湯温泉に戻って来て、前日食べられなかった名物「はんたい卵」を2個食べることができて大満足。これからまた半日かけて秋田に戻ります。平湯温泉は飛騨温泉郷、松本市上高地、いったいここは長野県なのか岐阜県なのか。






★第45回全県500歳野球大会開幕!
- 一日順延となり9月21日より始まった、第45回全県500歳野球大会。参加チーム182チーム(総勢4,400人)が市内18球場において頂点を目指して競い合う秋の一大イベントです。
- 夏の甲子園大会予選において、一番参加チームが多いのが愛知県の173チーム。それを上回る大会です。優勝するには7回勝ち続けなければなりません。
- 最高齢は93歳、80代が7人もいるチームもあるそうです。さあ、今年はどんなドラマが生まれるでしょうか。

★協会キャラクター缶バッチの作り方
①缶バッチ作成キット(25mm)とラベルシール(30mm)購入


②缶バッチ、バッチフィルム、缶バッチ受け、シールを準備。
シールを裏返して缶バッチを真ん中に貼る。



③缶バッチキットの左側に表側にして設置する。
その上にバッチフィルムをのせる。


④右側にもってきて、レバーを下ろしてプレスする。
(レバーを上げると缶バッチは上側に付いている)


⑤左側に缶バッチ受けの波になっているところをつまんでのせる。
左側に移動させてまたプレスする。(完成)


※付属品に丸形カッターが着いているが35mmに切るのは難しい。
そこで、30mmのラベルシールにしたら、中央にもってこられるし、
効率も良くなるのでラベルシールを活用するのがおすすめです。


★協会キャラクターの缶バッチが仲間入り

ピンバッチに引き続き、缶バッチも作成中です。
ピンバッチ1個作る時間に、缶バッチは5個作ることができます。


